柳原銀行は,柳原町(現崇仁地区)の町長であった明石民蔵ら地元有志によって、明治32年(1899年)に同和地区内に認可、設立された唯一の銀行であり、地元産業の振興や教育の向上に多大な貢献をしました。大正期には、山城銀行と改称し営業を拡大しましたが、金融恐慌の影響を受け昭和2年に閉店し、その後、建物は、商店や借家として平成6年まで使用されました。

 当時、建物は河原町通・塩小路通の南西角に位置していましたが、ここが崇仁地区を南北に縦断する国道24号線の拡幅工事場所となり、昭和61年に買収され取り壊すこととなりました。

 これを契機に、地元まちづくりのシンボルとして建物の保存運動が盛り上がり、「保存に関するシンポジュウム」の開催や「柳原銀行とその時代」の発刊等、様々な取組が行われました。また、平成元年に実施した京都市が行った建物調査において、当銀行建築物は設計密度の高い明治後期の洋風木造建築物であることが判明し、平成6年に京都市登録有形文化財(市登建23)となりました。

旧柳原銀行

柳原銀行記念資料館
 このような経過の中、建築保存に対する地元の熱意と京都市の取組があいまって、平成6年度から建物の移築、復元、保存事業に着手し、この度、平成9年11月28日から京都市崇仁隣保館資料室『柳原銀行記念資料館』として開所しました。

 当施設は建物内に展示室を設け、同和地区関係の歴史、文化、生活資料等を中心とした展示を通して、広く市民に対し同和問題への正しい理解と人権意識の高揚を図る啓発拠点施設として活用を図ります。