柳原銀行記念資料館運営協議会について

 柳原銀行の建物は移築前、河原町通・塩小路通の南西角に位置していました。崇仁地区を南北に縦断する国道24号線(河原町通)は、崇仁地区に入ると急激に道幅が狭くなり、JR線をくぐるにも高さがなくて大型車は通行できませんでした。しかし、やっと拡幅工事がなされることとなり、河原町通りのドンツキ、柳原銀行の建っていた場所は拡幅工事場所となりました。1986年(昭和61)この場所は買収され、建物は取り壊すこととなりました。
 全国でも唯一である被差別部落民が地元に建てた銀行の建物で、明治後期の設計密度が非常に高い洋風木造建築という、住民共通の、被差別部落民が誇るべき歴史的遺産が失われようとしている。
移築前の柳原銀行旧社屋

1991年 発行:
崇仁地区の文化遺産を守る会
 それまで歴史的経緯もあり、地元の解放運動団体は互いにいがみ合っていましたが、これを契機に崇仁地区の地元三団体(崇仁自治連合会、部落解放同盟京都府連合会七条支部、京都府部落解放運動連合会京都市協議会七条支部)は、この建物を保存することにしました。そして1989年4月18日「崇仁地区の文化遺産を守る会」を結成し、同月21日「柳原銀行保存のためのシンポジウム」を開催しました。
 その後本格的な保存運動を開始し、1991年『柳原銀行とその時代』が出版され、地元住民をはじめとして市民・労働者から約300万円の募金が寄せられました。この地元の情熱と文化財を保護したいという京都市の考えが整合し、1994年(平成6)京都市登録有形文化財(市登建23)となり、1997年(平成9)11月28日柳原銀行は崇仁隣保館資料室「柳原銀行記念資料館」として見事に移築・復元されました。
 同時に、「崇仁地区の文化遺産を守る会」は「柳原銀行記念資料館運営協議会」へと改称し、京都市から委託を受け、崇仁隣保館資料室「柳原銀行記念資料館」の運営を行っています。