1 古地図を通して見る『六条村』の成立と変遷

      

4.新版増補京絵図新地入




刊行:宝永6(1709)年
版元:四條通寺町東へ入丁龜屋清兵衛改版
寸法:96.0cm×68.0cm
彩色:木版黄水色手彩色
所蔵:大塚隆氏
解説:宝永5(1708)年の洛中の大火後の公家町・寺社・町家の修築・拡張・替地を描いた図である。本図は,その後の正徳年間の移転前の六条村を描いたもので,前図と同様に「えた村」と記載され,同村に囲いがあることに注目したい。



刊行:正徳3(1713)年
彩色:極彩色,寸法:91.5cm×65cm
所蔵:今村家
解説:本図は,移転直前の正徳3年に作成されたもの。「諸式留帳」によれば,六条村は,宝永(1707)4年に妙法院から,七条通り南側の地(現,郷之町付近)に転移を命じられた。その際,倍の広さの替地と移転料500 貫を条件に承諾したが,替地が低地であったため3尺の築地上げの要求を行い,妙法院が土入れを行ったと記されている。

5.六条村替地測量図

6.増補再板京大絵図乾坤舗




刊行:寛保元(1741)年
版元:林氏吉永
寸法:93.0cm×126.0 cm(縮尺5,000 分の1)
彩色:木版手彩色
所蔵:大塚隆氏
解説:本図は,六条村が五条橋下から七条南(現郷之町)に移転した状態が描かれたもので,「穢多村」と記載されている。
『諸式留帳』によれば,正徳年間に移転した後,享保8(1716)年11月25日に六条村は,妙法院に対し,さきに七条新地支配人より買った村橋入口の地に小屋建て願いを出し許され,享保16(1731)年11月には,天部村年寄源左衛門と六条村年寄与三兵衛が柳原庄銭座跡の開発願いがだされる等,現在の崇仁の地でのまちづくりが始められた。

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