11 東七条水平社水害救済事務所(昭和10年)




 これは昭和10年6月の高瀬川・鴨川の大洪水の際、東七条水平社が設置した水害救済事務所の写真である。
 鴨川にかわって恒常的な水運を可能とするために、高瀬川はいくつもの水量調節機能を設け高度に管理された運河だった。しかし明治以降、流路変更や川幅の減少、重要な遊水池としての機能を持った内浜の埋め立てなどが重なり、運河としての役目を終えた後はさらに管理水路としての機能を低下させていった。ここに未曾有の集中豪雨が悲劇を引き起こすこととなった。
 特に東七条(現在崇仁)の被害は大きく、その被災者救済の不公平をめぐって水平社東七条支部は「不公平分配反対同盟」を結成し水害闘争を展開した。





これは、平成11年度より着工される高瀬川付替工事の計画図である。
 平成8年7月に結成された崇仁まちづくり推進委員会は、幾度の流路変更により曲がりくねった高瀬川を南北に直行させることを、今後の崇仁のまちの骨格として「崇仁まちづくり計画構想(案)」に盛り込んだ。これによって、高瀬川が横断していることで進捗が困難だった河原町通拡幅工事が進み、今後のまちづくりのために有効な土地利用が可能となっただけでなく、さまざまな人が行き交う川岸のプロムナードとして、また人々が集う親水公園として新しい高瀬川を活用することで、「洪水」という負の記憶を克服し、水運がもたらしたかつての「にぎわい」を新しい形で取り戻すことが期待されている。
 柳原銀行設立100年目にあたる今年、高瀬川の付替えから新しい崇仁のまちづくりがはじまる。 。





12 高瀬川付替工事計画図


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