当建築物は、棟札から明治40年の竣工と判断されます。京都に現存する銀行建築物のなかでは、明治39年の旧日本銀行京都支店(現、京都府京都文化博物館)と第一勧業銀行京都支店が最も古く、これらに次ぐものであり、木造の銀行建築としては全国でも現存する最古のひとつと考えられます。
 数少ない明治期の銀行建築遺構であり、また建築設計密度の高い明治後期の洋風木造建築物であることから、平成6年に京都市登録有形文化財(市登建23)にも指定されています。

河原町塩小路(北側より撮影)
画面左、二階建ての建物が旧柳原銀行(撮影時、岩田商店)である。

高橋裕『京都の電車 市電・嵐電・叡電・京津電車』(トンボ出版)より



建設時期と設計・施工者


柳原銀行 棟札

 上棟式の際の棟札が保存されている。棟札とは、上棟や屋根葺き替えなどにあたって、板もしくは角材に、日付と工事関係者名あるいは祈願文などを記して、棟木や束柱に釘止めするものである。それによると、この建物の上棟は1907年 (明治40) 6月である。したがって竣工はその少しあと、明治40年秋か暮れと考えてよいだろう。
 また、棟札には、設計者として「吉川吉之助」、大工として「嶽山亀吉」の名が記されている。吉川吉之助は明治40年11月設立の稲荷調帯株式会社の専務取締役を務めた吉川吉之助と同一人物と思われるが、経歴は明らかでない。また同人がこのほかにどのような建築活動に関与したかも、これまでのところ判っていない。

建築史上の価値

 京都に建設された洋風の銀行建築としては、1904年 (明治37) の三井銀行、翌 年の住友銀行が早いが、現存するものは1906年 (明治39) 竣工の旧日本銀行京都 支店(現・京都文化博物館)と同年の第一勧業銀行京都支店がもっとも古く、当 建築はこれらに次ぐものである。全国的に見ても、明治期の銀行建築の遺構は20 棟に満たない。地場銀行の建築は特に少なく、この点で、当建築はきわめて貴重 な存在といえる。
 設計者の吉川吉之助は西洋建築を体系的に学んだ者ではないと思われ、意匠的 な見地からは細部装飾の変化が少ないといった限界も感じられるが、全体として 要所を押さえた堅実な設計である。特に、階段手すり、あるいは1階天井のデザ インは充実していて、設計者の入念な研究がうかがえる。
 近代の建築活動を見る際には、どうしても中央から来る設計者の動向を重視しがちであるが、当建築は、地域で建築文化が培われていたことを教えてくれる例として、非常に意味深いものである。

移設直前の旧柳原銀行


諸元(データ)

構造形式木造2階一部平屋建て屋根寄せ棟
及び切妻造り浅瓦葺
建築面積88.58平方メートル
延床面積164.50平方メートル
軒高7.66メートル
建物調査期間平成6年7月〜平成7年3月
解体工事期間平成7年3月〜平成7年8月
復元工事期間平成8年10月〜平成9年10月


外観デザインの特徴
室内デザインの特徴

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