〜「衰退」に立ち向かった柳原銀行〜

5.柳原銀行棟札(当館蔵)

1907年(明治40)

 この棟札は、河原町塩小路にあった柳原銀行の解体工事の時に発見されたもので、この棟札により建物は1907年(明治40)6月に竣工したことがわかった。設立から8年後ということで、経営が順調になった時期に社屋を建てたものと考えられる。

 なお、設計人・吉川吉之助は、柳原銀行の大口融資先であった稲荷調帯株式会社の専務取締役を勤めていた。








6.柳原銀行出資者伊勢旅行記念写真

(当館蔵)

1909年(明治42)

 崇仁学区の旧家から発見され、柳原銀行記念資料館に寄贈された。

 写真は、伊勢旅行を記念した時のものである。出資者のうち、顔と名前が一致しているのは現在2名だけで、向かって後列の右より2人目が明石民蔵、前列左端が柳原町の出身で柳原小学校長を長く勤めた玉置嘉之助である。








7.京都皮革(株)工場上棟式記念写真

(当館蔵)

1911年(明治44)

 京都皮革株式会社は、木村艮らを取締役、明石民蔵らを監査役に、1911年(明治44)設立された。

 町内の産業振興をめざすもので、柳原銀行も積極的に融資を行ったが、業績がふるわず、1912年(大正1)に稲荷調帯株式会社と合併し大正皮革調帯株式会社に改組したが、翌年倒産した。

 写真は京都皮革株式会社工場の上棟式で、前列右から4人目が明石民蔵。



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