1 古地図を通して見る『六条村』の成立と変遷

      

1.新板平安城東西南北町并洛外之図




刊行:承応3(1654)年5月吉日
版元:坂本北山修學寺村無庵
寸法:135.0 cm×87.0cm(縮尺約10,000分の1)
彩色:木版手彩色
所蔵:山本臨乗氏
解説:本図は,当時の刊行案内図で,洛外部分を詳細)にし,洛中が縮小された新機軸の図である。本図は,寛文3(1663)年に五条橋下鴨川と高瀬川に挟まれた六条河原給田地に建て家を許される以前の図で,六条河原に六条村の描写はない。



刊行:元禄9(1696)年4月吉日
版元:いせや新兵衛・きくや七良兵衛
寸法:92.0cm×59.0cm
彩色:木版無彩色
所蔵:大塚隆氏
解説:本図は,市街地の発展により.河原町松原上ルの地や平等院因幡薬師堂の東方稲荷町にいた河原者が,寛文3(1663)年に五条橋南鴨川と高瀬川に挟まれた六条河原給田地に建て家を許された後のもので,図中の3軒の家が六条村にあたる。

2.新板平安城並并洛外之図京之図新板洛外入

3.元禄十四年實測大絵図(後補書題)




刊行:元禄14(1701)年
版元:中井家旧蔵本
寸法:305.0 cm×201.5 cm(縮尺約5,000 分の1)
彩色:筆描図極彩色
所蔵:慶応義塾大学三田図書館
解説:本図は,中井家旧蔵図の中で,洛中及び洛外を精密に描いた最初のもので,当時の六条村の状況が詳しく描かれている。
五条橋下手に描かれた薮の下手に六条村があり「穢多村」と記載されている。
六条村下手に「銭鋳場」とあるのは,京糸割符仲間が元禄13(1700)年から約10年間銅銭を鋳造していた場所で,後にこの地に銭座村が開発されるのである。

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