柳原銀行記念資料館第3回特別展の開催にあたって

ようこそ柳原銀行記念資料館(崇仁隣保館資料室)へお越しくださいました。

只今、当館では第3回特別展として、『つくられた空間、失われた空間〜戦時下の崇仁とオールロマンス事件前夜〜』を開催しています。

当館は、地域発信型の人権資料館として開設し、1周年をむかえました。今回の特別展は、この期に、今まであまり顧みられることのなかった、戦後の解放運動・同和行政の出発点と言われる「オール・ロマンス事件」の舞台としての崇仁の近現代を、改めて掘り下げてみようと企画しました。

ここ崇仁の環境改善のための事業は、既に大正末期から昭和初期にかけて、2度にわたり、道路拡張・下水道整備などを行う地区改善整理事業が実施されています。昭和14年には、整理事業の経験と反省を踏まえ、住宅改良も含めた、戦前としては画期的な「地区改良事業」が計画されました。この計画は、次第に激しさを増す戦時状況の中、資金難や資材入手の困難の中で挫折し、事業のための土地買収も防空空地(爆撃による類焼を防ぐための空地)を造成するための立ち退きを進めるものへと様変わりしていきました。

崇仁でも、鉄道への類焼を防ぐためその付近の家屋が立ち退きとなり、東海道線・奈良線に沿って広大な空地が出現しました。昭和15年と昭和22年の国勢調査を比較すると、当時の総人口の3分の1にもあたる3,000人もの人々とその生活が崇仁から失われたことがわかります。

終戦後、この「空地」にスクウォッター(不法占拠者)を初めとする多くの移住者が押し合うように密集してバラックを建て始めます。ここに「オールロマンス事件」を引き起こすこととなる劣悪な環境(スラム)が、幻に終わった「地区改良事業」を遠因として形成されました。崇仁における戦後の環境改善事業は、戦前のこの「遺産」と取り組むことから始まらざるを得ませんでした。

今回の展示が、当時の文献や映像を初めとする様々な資料を通じて、見失われがちだった戦前から戦後にかけての地域の歴史と「改良事業」を改めて問い直すことになれば幸いです。

最期になりましたが、本展を開催するに当たり、資料を提供いただいた皆様を初め、ご支援、ご協力をいただいた関係各位に、心から御礼を申し上げます。

1998(平成10)年11月

京     都     市

柳原銀行記念資料館運営協議会

崇仁まちづくり推進委員会


崇仁人口グラフ

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