3 不良住宅改良事業計画概要図




<京都市蔵>1939(昭和14)年
本図は、戦時下としては画期的な「地区改良事業計画」が計画された際に作成された崇仁地区の事業計画図である。
崇仁でこれまで行われた2度の地区整理事業は主として道路整備・下水整備を行うものであり、この地区の環境を一新するには至らなかった。また他の地区では、未だ改良事業は着手されていなかった。そこで改良住宅の建築を行うなど積極的な住環境整備を含む、「地区改良事業計画」が作成されることとなった。
当初に策定された全体計画案では、市内8地区を対象に事業面積125,324坪、総予算2,000万円に及ぶものだった。昭和14年度の京都市の歳入総額が、2,300万円だったことを考えると破格の規模である。



<京都市蔵>1939(昭和14)年12月
この資料は、1939(昭和14)年12月に策定された「地区改良事業計画」の計画概要である。
「地区改良事業計画」は、膨大な資金を必要とすることから、実施が困難と判断され、数度に渡り練り直されたが、この資料もその内の一つである。
この後も、「地区改良事業計画」は何度も作成し直され、予算規模は縮小、「改良」事業から住宅や施設建築の伴わない「整理」事業へと転換を余儀無くされた。紆余曲折を重ねたが、事業面積10,833坪、総予算269万円の「地区整理案」として、ようやく昭和16年1月議会の承認を得た。


4 地方改善地區改良事業計畫概要

5 地方改善地区整理事業計画変更文案




<京都市蔵>1945(昭和20)年3月
この資料は、1945(昭和20)年に作成された地区整理事業計画変更案である。「地区整理事業」は、激しさを増す戦時状況の下、資材不足や用地費・建築費の高騰、国の防空対策の強化などのために、再三計画変更を余儀なくされた。
この計画変更案にも、「防空対策トシテ緊急措置スベキモノ」として「人員及ビ家屋ノ疎散」「防空用空地、貯水池、公共待機壕ノ整備」が盛り込まれた。また「住宅建設用地(買収済ノモノ)ハ防空用地トシテ留保スル」という一文が見え、改良住宅のために取得された用地が「防空空地」に転用されていった当時の情勢が伺える。


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